コラム
「もう一度大学を辞める話をしなければ」
休職申請から数ヶ月後の話。
心療内科で主治医に調子を聞かれても
「問題ない」
といつも答えているうちに、
処方される薬がどんどん減っていきました。
心や体の不調に対する不安がほとんどなくなりました。
そんな中、私はあることを決めました。
それは、
「1年休職したら辞めよう」
これは、
1 3年間はお金の心配はないが、後釜(教員)の補充の件でやりたいことができない
2 辞めるつもりなのに3年間大学からお金をもらうことはやはり心苦しい
という理由から。
しかし、以前のトラウマによりもう一度退職の話をすることに恐怖を感じていました。
大学の事務方から月に1回電話でご機嫌伺いがありました。
その度に「辞めたい」と言いたかったのですが、言えない理由がありました。
それは、
「私がここで辞めたいと言ったら、私の後釜は補充できない」
「補充できなかったら迷惑がかかる」
そう思ったからです。
なかなか辞めるという話ができずに時間だけが流れていきました。
そんなある日、大学の上司からラインで連絡が来ました。
その日は地元の花火大会がテレビ中継されていて、その中継を見てふと私のことを思い出
して連絡をくれたようでした。
ラインのトーク内でいろいろと話をするうちに私は決めました。
「このタイミングで上司に辞めることを相談しよう」
辞めること、後釜のことで辞められないことを上司に相談しました。
上司から、
「後釜のことは君が気にすることじゃないから、早く辞めてスッキリしなよ」
と返答が来ました。
なんだか重荷が取れたような気分になりました。
本当に感謝でした(上司には最後まで迷惑をかけてしまいましたが)。
しかし、辞めるにあたり1つ問題がありました。
それは、
もう一度教授と話し合うこと。
「もう話し合わずに辞めたいよ」
これが私の本音でした。
話し合いで自殺を考えるくらいに追い込まれたことがトラウマとして残っていたからです
。
実は、教員は教授と話し合わなくても辞めること自体はそんなに難しくなかったと思って
います。
それは、
事務方に退職願を出す、退職代行を使って辞めるなど選択肢がいくつかあったからです。
では何が問題だったかというと、
大学院に在籍していたこと。
私は教員兼大学院生をしていました。
大学院に入るときと辞めるときには、担当教授の許可が必要なのです。
許可をもらうためには話し合いが必要なのです。
上司からは、
「話し合わないと教授は絶対に納得しない」
と言われました。
「確かに納得しないと思うが、もう1対1で話すことは精神的に無理だ」
そう思いあることを主治医と事務方にお願いすることにしました。
それは…(続く)
私が所属する国際メンタルセラピスト協会では【自分の「うつ」を治した精神科医の方法】の著者宮島賢也精神科医が考案した『これからの新しい形のカウンセリング』であるメンタルセラピーを面談、Zoom、メールなどの形式を用いて行っております。
また、東京(またはオンライン)で定期的にメンタルセラピスト養成講座の説明会も開催しております。ご参加をお待ちしております。
セラピストになって自分の心も元気に、そして相手の心も元気にするお手伝いを一緒にしてみませんか?
メンタルセラピーのご希望、養成講座のお問い合わせはこちらから↓
https://peraichi.com/landing_pages/view/kokokarahealth
休職申請から数ヶ月後の話。
心療内科で主治医に調子を聞かれても
「問題ない」
といつも答えているうちに、
処方される薬がどんどん減っていきました。
心や体の不調に対する不安がほとんどなくなりました。
そんな中、私はあることを決めました。
それは、
「1年休職したら辞めよう」
これは、
1 3年間はお金の心配はないが、後釜(教員)の補充の件でやりたいことができない
2 辞めるつもりなのに3年間大学からお金をもらうことはやはり心苦しい
という理由から。
しかし、以前のトラウマによりもう一度退職の話をすることに恐怖を感じていました。
大学の事務方から月に1回電話でご機嫌伺いがありました。
その度に「辞めたい」と言いたかったのですが、言えない理由がありました。
それは、
「私がここで辞めたいと言ったら、私の後釜は補充できない」
「補充できなかったら迷惑がかかる」
そう思ったからです。
なかなか辞めるという話ができずに時間だけが流れていきました。
そんなある日、大学の上司からラインで連絡が来ました。
その日は地元の花火大会がテレビ中継されていて、その中継を見てふと私のことを思い出
して連絡をくれたようでした。
ラインのトーク内でいろいろと話をするうちに私は決めました。
「このタイミングで上司に辞めることを相談しよう」
辞めること、後釜のことで辞められないことを上司に相談しました。
上司から、
「後釜のことは君が気にすることじゃないから、早く辞めてスッキリしなよ」
と返答が来ました。
なんだか重荷が取れたような気分になりました。
本当に感謝でした(上司には最後まで迷惑をかけてしまいましたが)。
しかし、辞めるにあたり1つ問題がありました。
それは、
もう一度教授と話し合うこと。
「もう話し合わずに辞めたいよ」
これが私の本音でした。
話し合いで自殺を考えるくらいに追い込まれたことがトラウマとして残っていたからです
。
実は、教員は教授と話し合わなくても辞めること自体はそんなに難しくなかったと思って
います。
それは、
事務方に退職願を出す、退職代行を使って辞めるなど選択肢がいくつかあったからです。
では何が問題だったかというと、
大学院に在籍していたこと。
私は教員兼大学院生をしていました。
大学院に入るときと辞めるときには、担当教授の許可が必要なのです。
許可をもらうためには話し合いが必要なのです。
上司からは、
「話し合わないと教授は絶対に納得しない」
と言われました。
「確かに納得しないと思うが、もう1対1で話すことは精神的に無理だ」
そう思いあることを主治医と事務方にお願いすることにしました。
それは…(続く)
私が所属する国際メンタルセラピスト協会では【自分の「うつ」を治した精神科医の方法】の著者宮島賢也精神科医が考案した『これからの新しい形のカウンセリング』であるメンタルセラピーを面談、Zoom、メールなどの形式を用いて行っております。
また、東京(またはオンライン)で定期的にメンタルセラピスト養成講座の説明会も開催しております。ご参加をお待ちしております。
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