コラム

【体験記27】まさかこんな状態で仕事をすることになるとは… 2020.10.15

自分のうつを2つの方法で改善した元大学教員、心と体の保健室J.C.A新潟支部代表のメンタルセラピストじめちゃんです。

ここでは私のうつ病体験談を投稿しています。

うつ病発症、再発、回復と断薬、そしてその後の出来事について書いていきます。

何か1つでもうつ克服のヒントになることを願って。

ここからが本日の投稿になります↓

「研究費の申請だけはしてくれ」
実家で1週間療養する旨を教授に伝えた時に問題が発生しました。
それは「来年のこともあるから研究費(科研費)の申請だけはしてくれ」と教授から言われたことでした。

研究費は研究に使う材料、論文掲載料など研究をしていく上で欠かせないお金の1つですので来年を見据えたら必要です。

この時の私は、まだ目の前にもやがかかったように視界がぼやけていたり、頭がボーっとしたり、誰かの助けがないと遠くまで外出することもできないくらいの状態だった(歩行は可能)ため、研究費の申請書類を考えて書くことなんてとてもできる状況ではありませんでした。

そのことを伝えたところ、「昨年出した書類の一部を変えて出せばいい。それならすぐ終わるだろう」と言われました。

本当は休ませてほしかったのですが、もしかしたら来年も大学に残っているという可能性も(低かったのですが)まだ考えられたので、それくらいならなんとかできるかもしれないと思いその日から大学に行き書類を作成することにしました。

久々に職場の机に座ると、過緊張ですぐに疲れ切ってしまいました。
さらに昨年の書類のほんの一部を変えるだけでいい簡単な仕事なのに、うつ病の症状が重いとそれすらこなすことがおっくうでした。

このため書類作成作業は1時間しか持ちません。
それでも書類作成は2日間で終わりました。
計2時間の作業でしたが、帰ったらヘトヘトでした。
元気だったころとは明らかに違う変化でした。
「症状が重いのだから今まで通りできないのは仕方ない。対応の仕方を変えよう」
「まずはゆっくり休もう」

そう思いながら、自宅に帰りました。
いよいよ翌日は、実家に帰省します。
その時の出来事を次回書きたいと思います(続く)。



私が所属する国際メンタルセラピスト協会では【自分の「うつ」を治した精神科医の方法】の著者宮島賢也精神科医が考案した『これからの新しい形のカウンセリング』であるメンタルセラピーを面談、Zoom、メールなどの形式を用いて行っております。

また、東京(またはオンライン)で定期的にメンタルセラピスト養成講座の説明会も開催しております。ご参加をお待ちしております。

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