コラム

『【体験記1】うつ病発症までのいきさつ』2020.08.11

自分のうつを2つの方法で改善した元大学教員、心と体の保健室J.C.A新潟支部代表のメンタルセラピストじめちゃんです。

ここでは私のうつ病体験談を投稿しています。

うつ病発症、再発、回復と断薬、そしてその後の出来事について書いていきます。

何か1つでもうつ克服のヒントになることを願って。

ここからが本日の投稿になります↓


「夢がかなった!」私がうつ病を患ったのは2016年3月で、医学部の博士課程大学院生兼大学教員として働いていた頃でした。

なぜ接骨院の先生である私が医学部に在籍していたかというと、私には大学教員になるという夢がありました。

大学院修士時代の教授に「教員になるためにも博士号を取得すべき」と勧められ、以前から繋がりがあった医学部の大学院博士課程への進学を決断しました。

決断後、「教員をしながら博士を目指さないか」と志望先の教授からの勧めで、大学の助教としての務めをしながら博士を目指す道を選びました。

同時に夢がかなった瞬間でもありました。

そして2015年、修士取得後に医学部に移り、そこでの研究活動と医学生への解剖学教育に携わり始めました。

初年度は初めてのことの連続でした。

私は医学生の解剖実習を担当する教員の一人でした。
「実習を教える教員なのだからもちろん実習は経験しているのでしょ?」と思うかもしれませんが、実はこの時、生まれて初めて実習を経験しました。

もちろん医学部に移る前に解剖学の知識はつけていたので、その知識を使いながら学生に教え、そして私自身も上司の力も借りながら実習で技術を学んでいたということになります。

そのため実習(教育)と自分の研究をこなしながら、仕事の後は1日でも早く研究や教育に慣れるために深夜まで予習と復習を行う日々が1年ほど続きました。

大変な状況でしたが、私にとっては解剖の教育はとても尊くやりがいを感じるものでした。

これに加え夏に行われる学会での発表のために、休日は修士時代の研究室に行き、不足していたデータを計測し、それを職場に持ち帰り解析し、発表練習をするという作業が2~3か月ほど続いたこともありました。

1回の移動距離だけでも往復500㎞はあったでしょう。

またもう1つの休日の仕事である携帯当番が3週に1回あり、電話がかかってきたら大学に行くこともありました。

このため実質的な休みは2~3週に1度くらいに来る何もない土日くらいでした。
正直体はヘロヘロでしたが、学ぶ内容が毎日新鮮だったこともあり医学部に移ってから前半の半年くらいはある程度楽しみながら日々を過ごしていました。

しかし、後半の半年は自分の首を絞める結果となり、そこからうつ病へと向かっていきま
した。
その出来事とは…(続く)


私が所属する国際メンタルセラピスト協会では【自分の「うつ」を治した精神科医の方法】の著者宮島賢也精神科医が考案した『これからの新しい形のカウンセリング』であるメンタルセラピーを面談、Zoom、メールなどの形式を用いて行っております。

また、東京(またはオンライン)で定期的にメンタルセラピスト養成講座の説明会も開催しております。ご参加をお待ちしております。

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